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緊張と不安と焦燥の中に明け暮れたこの1年も、まもなくその幕を閉じる。2011年が永く歴史に刻まれる年になることは間違いない。
東日本を襲った、数百年あるいは千年に一度といわれる巨大地震と津波、そして、事前の対応を怠った人災とも指摘される東電福島原発の大事故。あの日を境に、われわれの平穏な暮らしは一変した。日々の生活行動にはいつも重圧感がつきまとい、何をするにも集中力を欠く心理状態が続いたように思う。それは時とともに落ち着いてはきたが、いまだ余震が治まらない中で、当面最大の問題である原子炉の収束や放射能汚染土壌の除去については、現状や見通しに不透明なところが多く、以前の姿を取り戻すには厳しく遠い道のりが予想される。
振り返ると、この1、2年の異常気象や自然災害は質量ともに以前とは違った凄さを感じさせる。今回の大震災に隠れがちだが、昨夏以降の記録的猛暑や豪雪、また大型台風と集中豪雨による洪水、土砂崩れなど、尊い人命や財産を奪う大きな災害が各地で相次いだ。
とくに当県では、7月末に新潟、福島両県を襲った過去最大級の集中豪雨により、奥会津、只見川沿いの生命線である鉄道や道路が到るところで寸断、不通となる近来稀にみる大災害となった。いま工事関係者が大挙して復旧に取り組んでいるが、降雪期を迎えて、もとの姿を取り戻すのは容易でない。川沿いの山林は濁流で中腹までなぎ倒され、巨大岩石が川べりまで落下、水力発電所の重量設備の一部が下流まで押し流されるといった自然の猛威の前には、ただ無力感を覚えるばかりである。
このように厳しい条件が相次ぐ苦労の多い1年だったが、それでも、正月を迎える準備に忙しい歳末独特の街の雰囲気に接すると、懐かしさにほっとするとともに、あの恐怖の縁からよくぞここまで辿り着くことができたというのが率直な気持である。しかし一方で、住み慣れたふる里から遠く引き離され、家族別れての避難生活を強いられて年の瀬を迎えている被災者にとっては、いつもの正月準備のような心境にほど遠いことは言うまでもない。その辛さと悔しさは察するに余りある。
ところで、歳末の街の賑わいといえば、近年、中心市街地に往年の勢いが見られないのは残念でならない。周辺町村からの多様な消費力を取り込んで発展してきた地方都市において、その象徴的存在である中核的商店街に買い物客が集まらず、活気を失ってきているのは実に寂しいかぎりである。ことに、その地方に伝わる伝統行事で季節の風物詩でもある「歳末の商い」の賑やかさが年々薄れてきているのは大変残念なことである。
つい最近ある会合で、長年、市内中心部の商店街でご商売をしている旧知の方と隣り合ったときの話である。
どの地方都市も同じだが、特徴ある多くの商店が軒を連ねて賑わっていた中心街から人が離れるようになって随分久しい。とくに昔から馴染んできた年末年始の風習を大事に守っていこうと、歳末時期の商店街には溢れんばかりの買い物客で埋まり、一種喧噪ともいえるほどの活気が漲っていた。あの光景は一体どこへ行ってしまったのか、実に寂しいかぎりだという。これはまた、中心街ばかりでなく、市内各所に点在する「〇〇商店街」あるいは「〇〇通り商店会」など、その地域に密着して発展してきた商業集積地も同じ流れの中にある。
かつて、国民等しく貧しい生活に耐えていた敗戦直後の頃から、長い間、いつも身近な存在だった数々の商店を思い出す。八百屋や魚屋、肉屋、豆腐・納豆・削り節の製造小売屋、菓子屋や酒屋など懐かしい日常の食料品を扱う店がそうであった。また衣料品や雑貨、荒物、靴、電気器具や家具、金物やセトモノ、文具や本、時計、カメラ、薬など、親しみのある商店がひとつの塊りになって、生活のにおいのするコミュニティを形成していた。そして、生活密着型のこれら商店の多くが大型店との競争で客足を失い姿を消した。いまや中心商店街は駐車場やシャッター通りに変貌し、とって替わって郊外に進出した大型商業施設に人の流れが移っていく。
こうした変化は、昭和30年代以後の経済成長に伴う大量生産、大量消費社会の到来と国民生活水準の向上、クルマ社会や生活スタイルの変化、女性の社会進出、さらに急速な少子高齢化と核家族化など、多くの要因が絡み合ってもたらされた。この大きな変化の波は当然、地域経済に強いインパクトを与えたが、とりわけ商店経営の先行きを熟慮した経営判断の過程で、家業の後継者に恵まれなかったことも大きく作用したのである。
いまや市街地に住む高齢者や育児中の母親などが日常の買い物に困るケースが増えているといわれる。いわゆる「買い物難民」あるいは「買い物弱者」といわれる新しい現象で、今後も高齢化社会の一層の進展によってこの傾向は増え続けるとみられている。新しい時代の地方の経済社会のあり方が本気で問われている。
いつも年の暮れに感ずることだが、かつて、今年のように激動に身を晒された年はあっただろうか。長年努力を重ねて築き上げてきた「福島県ブランド」が、いま崩壊の危機にある。この厳しい現実を直視し、県民が一致結束してこの苦難を克服しなければならないと思う。 新年が皆様にとって健康で明るく飛躍する年になることを心からお祈りします。
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