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コラム

第九十一回 復興への道におもう
相談役 最上 恒夫
 些か品を欠く言葉だが、一言でその場の雰囲気を伝えるのに「卓袱台(ちゃぶだい)返し」というのがある。テレビドラマで時折目にするのだが、一家団欒の楽しい夕餉のときなどで何かの拍子に突然テーブルをひっくり返すあの場面である。人間、我慢を重ねたあげく、堪え切れなくなったときに出る行動で、実際そうしないまでも、折角積み上げてきたお膳立てを一挙にご破算にするという意味でよく使われる言葉である。
 いま福島県で最も厳しい状況にあるのが、原発事故以来、仕事場を失った漁業者である。苦難の中で漸く一歩前進の兆しが見えたところで卓袱台返しが飛び出した。

 東電福島原発の事故発生から早くも4年が経過した。復興のカギを握る廃炉作業には、1日約7,000人の作業員が現場を支え長い闘いを続けているという。わけても、原発建屋に流入する1日約300トンの新たな汚染水発生をどう防ぐか、そして溜まった汚染水を如何に速やかに浄化処理するかの対策が焦眉の急とされる。
 そのような中、本年2月下旬、建屋屋上の汚染された雨水が港湾外(外洋)に流出していた事実を1年前から把握しながら、漁業関係者や一般県民など外部に公表していなかった問題が明るみに出た。しかも増え続ける汚染水対策の一環として、敷地に流れ込む前の地下水を汲み上げ、検査後、海に放水する「地下水バイパス計画」について、昨年来、漁業者側と協議を続け、早期の漁業復興には已むを得ない方法だとして漸く歩み寄りを示してきた大事な段階だっただけに、漁業者側の東電に対する信頼が失われ、交渉が暗礁に乗り上げてしまった。
 廃炉まで30年と言われている。東電も汚染水対策には懸命に取り組んでいるのだが、如何せん、為すべきことの余りの多さからか、総身に知恵が回りかねの不手際がたびたび露呈し、批判を招く結果が生じている。

 実際、原発事故以来、風評被害に苦しみ、その払拭が県勢復興への最大の課題となっている。農林水産業や観光業はじめあらゆる産業が逆風下にあるが、とくに浄化後とはいえ、それが流れ込む海を仕事場とする漁業者の苦悩は計り知れない。本格操業を目指し懸命に取り組む試験操業で水揚げされた魚介類は、すべて国の基準より厳しい自主検査を経て他県へ出荷されているが、水揚げ量は事故前の数%と回復には遠く、関係者の苦衷のほどは察して余りある。隣の韓国では、未だに福島県はじめ国内8県産の水産物輸入規制を続けており、食品に関する風評の払拭が如何に困難であるかがお分りだろう。
 試練の中、県漁連が早急な復興を目指し2年前から進めてきた水産業施設復興整備事業、いわき市小名浜港の新魚市場が3月下旬完成開場した。全自動原料選別・加工ラインや冷凍冷蔵工場など従来にない規模と機能を備え、県漁業界にも漸く僅かながら曙光が差してきた。
 昨年秋、復興のリーダーとして期待を担って誕生した新知事の第一声は「原発事故被災地域の一日も早い復興と、風評、風化の2つの逆風を跳ね返して県全体の活力を取り戻し、人口減少の危機を克服して地方創生を実現する」であった。以来、機会を捉えては、これまで多数の避難県民を受け入れ、また県や被災市町村へ職員や警察官派遣など数々の支援の手を差しのべてくれた他県の首長を訪ね、感謝と復興の現況説明、今後の協力を要請するなど東奔西走の日々である。また県内の産業界や各種団体、地元金融機関とともに、首都圏や関西圏での福島県産の農産品や地酒の試食試飲や観光宣伝など県産品フェアを通じた官民挙げての風評払拭、風化対策に精力的に取り組み、復興への手応えを掴んでいる。

 冒頭の卓袱台返しの頃。深夜目が覚めたときラジオから、偶然、福島県という言葉が飛び込んできた。作家、五木寛之さんをゲストに「歌の旅びと」という、月1回全国各県を歌で辿るシリーズ番組だった。その地で育った作詞・作曲家や歌手、地元で愛され続ける歌を歴史と思い出を辿りながら、文化、自然、県民性などに触れるもので、4年続いた人気の深夜番組だと後で知った。
 作曲家の古関裕而、猪俣公章、市川昭介、歌手の霧島昇、伊藤久男の各氏など多彩な顔ぶれや親交のある三春町住職の芥川賞作家、玄侑宗久さんにも触れた後、何度も訪れている本県の豊かな自然や誠実な県民気質などに話が及び、「地理的な意味ではもちろんないが、福島県はある意味で日本の中心であると思う。一日も早い復興を願う」と語られたのである。一瞬わが耳を疑い驚いたが、地方が持つ良さが凝縮されたところという意味なのだろうと思った。そして個人的なことだが、と断ったうえで、五木さんが直木賞を受賞したとき、選考委員であった大信村出身の芥川賞作家、中山義秀(ぎしゅう)氏が、ただ一人厳しい評価だったのを知ったことに触れ、以後、新作刊行のたびに献呈し続けたところ、数年後、本人から「私の誤りだった。健筆を祈る」との手紙が届いたという。厳しさと潔よさをもつ福島県人の気質を感じたそのときのことを思い出す、と締め括った。
 余談だが、高校在学中の昭和31年のある日、突然母校を訪れた中山義秀氏から間近でお話を伺ったことがある。明治人の気骨を彷彿させる古武士然の風貌からも、五木さんのお話、然もありなんと懐かしく聴いた次第。
 ふり返れば、大震災と原発事故以来、全国各地から実に多くの暖かい応援を頂いてきた。福島県民にとって、これらの支えがどれだけ復興への意欲を湧き立たせてくれたか、4年過ぎたいま改めて考えてみる必要があろう。
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