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福島ふるさと紀行

第四十回 小和滝(郡山市西田町) 【2010年5月】
 今年は、郡山で49年ぶりに4月下旬の降雪を記録するなど、気候の変化の激しい春となりました。お花見のタイミングも計れず、思うように桜を見ることができなかったという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 今回は郡山市の東部、西田町を訪ね、阿武隈川の流れに伝わる伝説を見つけてきました。桜の名所としても知られていますが、それ以外の季節にもちょっと散策してみたい場所です。

 郡山市の東部に位置する西田町は、昭和28年に公布された町村合併法によって、高野村と逢隈村が合併し、誕生(当時は西田村)しました。この地は江戸時代には三春藩の支配下に置かれていた場所。また、平安時代初期にさかのぼれば、征夷大将軍・坂上田村麻呂にまつわる伝説も残されているそうです。
 たとえば、「鬼生田(おにうだ・おにゅうだ)」の地名は、田村麻呂に追い詰められた鬼が田の中に子を捨てて逃げたという伝説に由来するといわれます。またデコ屋敷のある高柴地区では、田村麻呂が建立した京都清水寺の僧が作った100個の木馬が本物の馬となり田村麻呂を救ったという言い伝えがあり、そこから高柴木馬、いわゆる三春駒が作られるようになったといわれているそうです。ちなみにこのデコ屋敷では、約300年前の元禄年間から張子人形や張子面を作り続けています。
 さて、そんな西田町にある「小和滝」は、滝という名前こそありますが、阿武隈川の「瀬」です。かつてはこのあたり、川幅が狭く流れが急で船が渡れなかったそうです。しかも対岸に当たる日和田側が崖になっていて、橋も架けにくい場所だったとか。付近にかかる「小和滝橋」は明治時代に架けられて以来、何度か流され架け替えられています。最初に小和滝橋を架けたのは付近の有志。私財を投じて架橋しようと明治9年に県庁に認可を申請しますが、工事が困難なことからなかなか認可されず、やっと明治17年に建設許可がおります。その許可をおろしたのが、自由民権運動を厳しく弾圧し、その一方で道路や新しい農場の建設を推し進めた後の警視総監、三島通庸県令でした。苦労して架けた橋でしたが、初代の小和滝橋は5年後の明治23年、大洪水で流されてしまいました。その後、明治32年に二代目、昭和10年に三代目、そして平成9年に四代目の「小和滝橋」が架けられています。
 この小和滝の近くに七日淵というところがあり、ここにも不思議な伝説が残っているそうです。七日淵には大亀が主として住んでいたそうで、その甲羅の直径は二尺ほどもあり、晴れた日には河原で甲羅干しをしていたとか。ある時、鉄砲で亀を撃ち、さらに棒で叩いて亀を捕らえ、それを祭りで売った者がいたそうです。ところが翌年の夏、その若者が川で泳ぐうちに行方不明になり、亀の恨みだと言われるようになったという話です。小和滝付近は今でも深いよどみがあったり、岩があったりと、確かに大亀が住んでいてもおかしくない雰囲気かもしれません。
 この小和滝、現在はスポーツ広場や公園が整備され、特に桜並木やスイセンが美しいと評判です。公園のソメイヨシノは80本を数えます。  西田町はまた、梅の里としても知られています。安達太良山を遠望できる同町三町目地内には、5ヘクタールにも及ぶ梅畑があり、昔ながらの梅干などの加工品も製造しています。例年4月上旬にどちらも見頃を迎え、この梅と桜が同時に咲くのが西田の春なのだとか。
 公園から西田スポーツ広場を結ぶ川沿いの道は遊歩道として整備されていて、ここは雪の残る安達太良を眺めながら、散歩気分で歩きたいところです。



小和滝橋
小和滝橋




川沿いの歩道
▲川沿いの歩道




安達太良山をバックに
▲安達太良山をバックに




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